岩出山 いわでやま
伊達な小京都
仙台より北西へ50キロ、奥羽山脈より流れ出す江合川がまちを潤す山紫水明の地岩出山。伊達政宗公が仙台青葉城へ移るまでの12年間、血気盛んな青年期を過した城下町。城の防備を兼ねて開削された用水路「内川」は、400余年の歴史を刻み、水と緑の調べを滔々と今に伝えています。
岩出山伊達家、三代敏親公と四代村泰公には、京都冷泉家より御輿入れがなされ、郷学「有備館」や廻遊式池泉庭園をはじめ、しの竹細工・酒まんぢうといった地場産品にも、京文化のなごりを偲ぶことができます。
岩出山の見どころ
旧有備館及び庭園
岩出山伊達家2代宗敏の隠居所として延宝(1677)頃に建てられたとする説が有力です。その後,下屋敷・隠居所として使用されたのち,家臣子弟教育のために学問所として使われました。当主が講義を聞いたり,講堂の役割を果たした「御改所」(主屋)と学舎「有備館」,武術訓練場があったと伝わっています。主屋は,平屋建で,屋根は四柱造茅葺,二方折廻縁をもつもので,庭に面し,座敷から庭園が一望できます。庭園は正徳5年(1715)4代村泰によって整備され,仙台藩の茶道頭石州流3代清水道竿が作庭。岩出山城の断崖を借景とし,池に島を配した廻遊式池泉庭園です。また,主屋には仙台藩の学者として著名な佐久間洞巖筆とされる「對影楼」の偏額が,現在まで伝えられています。
岩出山城跡(城山公園)
岩手沢城は氏家氏代々の居城でしたが,大崎・葛西一揆で廃城となった岩手沢城を天正19年(1591)徳川家康が縄張りし修復・整備しました。その後同年,豊臣秀吉の命により伊達政宗が山形県米沢から入府し,この地を「岩出山」と改め,治府を仙台に移すまでの間,居城としました。城内の一角に家康が縄張りに用いた道具を埋めた場所は,八幡平と称して祀られています。本丸・二の丸・三の丸跡は公園として整備され,金丸跡には,昭和39年,仙台城から移設された政宗公立像が大崎平野を見守っています。広々とした園内はサクラやツツジの花名所となっています。
内川遊歩道
岩出山の中央を流れる内川は,政宗が岩出山城築城の際,城の外堀として,農業用水や生活用水,防火用水を確保するために開削した人工水路です。現在の内川は,土地改良事業により改修しましたが,内川の自然や歴史的価値の保存に配慮して整備が行われ,2006年には「疏水百選」に、2016年には「世界かんがい施設遺産」に登録されています。また,川沿いには「学問の道」が整備され,地域住民の憩いの場として,観光散策路として親しまれています。
岩出山の年中行事
岩出山の工芸品
岩出山の味・ぐるめ
- 交通
- JR陸羽東線 岩出山駅・有備館駅下車
- 問い合わせ
- 大崎市岩出山総合支所地域振興課
- TEL:0229-72-1211 / FAX:0229-72-1290
- E-mail: i-chiiki@city.osaki.miyagi.jp
- URL: http://www.city.osaki.miyagi.jp/