棚倉 たなぐら
東北の小京都 棚倉
東北地方の玄関口にあり、八溝山をはじめとする山々に囲まれ、春には桜、夏はさわやかな新緑、秋は紅葉、冬の雪景色、四季折々の風景が楽しめます。
平安時代に建立された山林寺院の跡(流廃寺跡)や、陸奥一の宮である馬場都々古別神社と、奥州一の宮である八槻都々古別神社の二つの一の宮が現存するなど多くの寺社仏閣が残っています。江戸幕府成立後、初めて棚倉藩を治めたのが立花宗茂です。その後、丹羽長重によって棚倉城が築城されました。以来、八家十六代の居城となって栄えてきた、情緒あふれる城下町です。
■交通
【車】
東京から(約3時間)
(1)浦和IC-(東北自動車道:165km)-白河IC-(国道289号線:25km、約40分)-棚倉町
(2)三郷IC-(常磐自動車道:94.5km)-那珂IC-(国道118号線:80km、約90分)-棚倉町
仙台から(約2時間30分)
仙台宮城IC-(東北自動車道:146km)-矢吹IC-(県道44号線:22km、約40分)-棚倉町
福島空港から(約45分)
空港-(国道118号線:30km)-棚倉町
乗合タクシー(新しいウインドウで開きます) [福島空港サイト]
【公共交通機関】
東京から(新幹線+路線バス)
東京駅-(東北新幹線:約85分)-新白河駅-(JRバス関東:約40分)-磐城棚倉駅
水戸から(約120分)
水戸駅-(JR水郡線)-磐城棚倉駅
※2019年の台風19号の影響により、一部区間は代行バスが運行しています。詳しくはJR東日本水戸支社HPでご確認ください。
郡山から(約60分)
郡山駅-(JR水郡線)-磐城棚倉駅
棚倉の見どころ
棚倉城跡(亀ヶ城公園)国指定史跡
元和8年(1622年)、常陸国古渡より棚倉に移封された丹羽長重は、幕府より築城の命を受け寛永元年(1624年)、近津明神(都々古別神社)を馬場の地に遷宮し、翌2年(1625年)、その跡地に棚倉城の築城に着手しました。
慶応4年(1868年)、戊辰戦争で落城するまでの240余年、8家16代の城主交代があり、お堀に住む大亀が水面に浮かぶと決まってお殿様が転封されたということから、別名「亀ケ城」ともいわれています。
土塁の上には南北朝時代の板碑や棚倉城規模碑、畑俊六元帥終焉の碑などがあります。また、西側外堀跡には約160mにわたり石垣が残っています。
山本不動尊(山本公園)
樹齢100年を超える杉並木を抜け、130段の石段を上りつめると巨岩の洞窟に御本尊が安置された霊場が出現します。
大同2年(807年)、弘法大師が東北行脚の途中に護摩壇を築き、八溝山系に住む悪鬼を調伏祈願したのが山本不動の始まりで、以後、安堵な暮らしができるようになったといわれています。
公園を中心とした南北約5kmの渓谷は「奥久慈県立自然公園」に指定され、春に「シャクナゲ(4月中旬〜下旬頃)」、「山桜」、「岩つつじ」などが咲き、夏は「キャンプ」、秋には「もみじ狩り」など、年間を通して豊かな自然を満喫できます。
赤館城跡(赤館公園)
赤館城は、棚倉北部標高345mの丘陵地にあり、近世棚倉城が築城されるまではこの地を治めてきました。
丘陵地から眺める風景は、城下町棚倉の町並みが一望でき、また、公園の南側山麓には、「紫衣事件」で棚倉に配流された京都大徳寺の住職玉室和尚の草庵跡の碑があります。
中世の赤館に関する資料は極めて少なく、築城時期など判然としない点が多くありますが、唯一建武年中(1334〜1338年)に赤館伊賀次郎が赤館城主であった記録から、赤館はこの頃すでに築かれていたことがうかがえます。
馬場都々古別神社(陸奥一宮)
都々古別三社の一社で、江戸時代頃には「近津三社」(馬場都々古別神社・八槻都々古別神社・下野宮近津神社)と総称された“上宮”にあたります。
かつて「東夷」を鎮定した日本武尊が、初め建鉾山(白河市)に鉾を祀り、のちに大同二年(807年)坂上田村麻呂が近世棚倉城の地に移したと伝えられます。寛永元年(1624年)に棚倉藩主丹羽長重が棚倉城を築城するため現在の地に神社を遷宮しました。
祭神は味耜高彦根命と日本武尊を祀ります。
境内には樹齢数百年の古木が茂り、棚倉城地より解体移築されたと伝えられる流造の本殿や、向拝一間に唐破風を持つ拝殿は荘厳です。また棚倉町出身の近代画家勝田蕉琴の筆塚もこの境内にあります。
本殿が国指定重要文化財となっているほか、社宝には鎌倉時代源義家が寄進したとされる長覆輪太刀二口(国重文)や、赤糸威鎧残闕(国重文)など数多くの貴重な文化財が遺されています。
八槻都々古別神社(奥州一宮)
都々古別三社の一社で、江戸時代頃には「近津三社」(馬場都々古別神社・八槻都々古別神社・下野宮近津神社)と総称された“中宮”にあたります。
縁起によれば、日本武尊が八溝山の「東夷」の大将を討った際、守護として示現した三神が建鉾山より箭(や)を放ち、箭の着いた場所を箭津幾(やつき)とし都々古別神社を創建したのがはじまりといわれています。
祭神は味耜高彦根命と日本武尊を祀り、農耕神としての性格が古く、のちに武神が加わったものと考えられます。その年の新籾を藁苞に入れて(ツトッコという)奉納し、その折他のツトッコをいただいて帰る風習(霜月の大祭)や桝廻しの神事、あるいは御田植の神事(旧正月6日)等の存在は、農耕神の性格を物語ります。
社宝には銅鉢(国重文)、木造十一面観音立像(国認定重要美術品)など数多くの貴重な文化財が遺されています。
棚倉の年中行事
棚倉夏まつり
棚倉の夏の風物詩「棚倉夏まつり」が、町内目抜き通りを歩行者天国にして開催されます。
棚倉町の繁栄と地域産業の発展を願い、棚倉から元気を発信するべく、様々な内容のイベント等を実施いたします。
棚倉秋まつり
棚倉に約200年続く伝統行事「棚倉秋祭り」
神興や大屋台(山車)がまちなかに繰り出し、囃子太鼓の公演が随所で行われます。また、迫力ある大曳き合い(屋台同士のぶつかり合い、力比べ)は、圧巻です。
棚倉の味・ぐるめ
- 問い合わせ
- 棚倉町観光協会
- TEL:0247-33-7886 / FAX:0247-33-3715